こだま創始者の想い

障がいをもつ誰もが

「社会の一員」として働くよろこびを

感じて頂けることを目標にしています。

平成8年(1996年)9月5日、堺市北区蔵前町の一角。5人の身体障害を持つ人の集団から、障がい者作業所「こだま」は誕生しました。

 

なぜ作業所を作ったのか?

ある人は「障がいを持つ子ども達のために」、またある人は「社会の役に立ちたい」という理由でこのような施設を作るでしょう。 しかし、「こだま」の設立は、人生の円熟期にわずかな退職金をすべて使い果たしてでも「誰かへ賜物がしたい」という私自身の想いからだったのかもしれません。

 

というのも、私は両下肢麻痺の障がい(ポリオ)を持ちながら、3歳にして大きな戦火の中を生き抜いてきた身。大阪府立身体障害者更生指導所・付属病院(当時)に入院し、多くの方々に支えられて自分の“足”でようやく立ち上がれたとき、感謝がこみ上げるとともに「より重度な障がいを持ち、社会生活に同化できずにいる人たち」のことを想いました。

 

その想いがやがて、「そういった人たちのために、何か私にできることでお手伝いしたい」と切に願う気持ちに変わり、同じ気持ちを抱く6名で創設したのが、当初の「小規模作業所こだま」でした。

 

「こだま」を漢字で書くと、「木霊」です。木はお互いに支えあい小さな種を残していきますし、あるいは途中で枯れていくこともあることでしょう。けれど、枯れた木もまた、育つ木の肥やしになってくれているはず。とどのつまり、「誰かは必ず誰かの役に立ち、また誰かは誰かに助けられている」という輪廻のなかで私たちは生きているのです。

 

障がいをもつ方のうち、この輪に必要とされていることに気づく人が多くないのは事実です。また、自らを苦しい立場に追い込んでいく人たちも後を絶ちません。でも、私は想うのです。障がいを持つ方も必ずこの輪廻の中にいる、と。

 

ひとりの人間が生涯でできるのは極めて小さなことです。でも、より多くの人たちとの交流を深め、より多くの人たちの経験から学び、より多くの人たちと経験や学びを分かち合える障がい者作業所を作り、育てたい。

 

また、重度の障がいを持つ人やそのご両親にとって、一時の安らぎとなる場所でありたい。「こだま」を立ち上げた志を失うことなく、 これからも活動していきたいと存じます。

 

 

初代理事長 田中 逸郎